return to homepage

return to homepage

プロフィール

Left: A-Bomb Victim, 1965(被爆者)

Right: Cusi working on Godzilla at Toho Studios, 1967.

Right: Agonized Prodigal Son, 1968(放蕩息子)

Left: Jizou, 1969(祈り地蔵)

Light of Civilization, 1970, Maribor, Slovenia.

(Cohabitation - 共生)

Light of Civilization series of works, 1971-74.

Death Sand (Ash) 1975.

Descending from top:

Left and Top Right - Eat Yourself (1975)

Bottom Right - This Is Time (1975)

Vacuum Zone #4 (真空地帯), 1977.

Vacuum Zone #5 (真空地帯) Poster, 1979.

Vacuum Zone #5 (真空地帯), 1979.

Eternal Performance #6-7, (1980)

"Human Condition"

"Cusi Becomes Butterfly", 1981.

Eternal Performance #8

Whitney Counterweight Performance

Eternal Performance #9, Human Condition, 1984.

Left: Eternal Performance #10 - sculpture: (thirsty a-bombed suffering pregnant woman begging to drink black rain water)(Wikipedia link), 2018

Right: Poster for 2018 Performance

Performance title: A-BOMB Victim- Black Rain

Bottom: Stills from performance

Assorted snap photos through the years.

Masami Cusi Masuda は1944年静岡駿東郡浮島村、江戸時代の高僧, 白隠生誕の村(現沼津市)に生まれる。1963 年武蔵野 美術大学彫刻科に入学。入学の面接試験で清水多嘉示(1920年代ロダンの3弟子の一 人ブー ルデルに師事する、ジャコメッティはクラスメート)は4次元の表現世界がある事を諭しその後のアート 活動に大きな影響を及ぼす。当時 の武蔵野美術大学(戦後の20年間日本の前衛芸術をリードす る多くの前衛芸術作家を生み出す)は反体 制、反アカデミズム、在野、野武士、叛骨を標榜す る数々の教授とそれを志向する生徒が一体となった その情熱は戦後の日本文化、精神の荒廃の 再生、再興の原動力となった。このアンチシステムの校風は 制作姿勢の萌芽となる。 清水市にて常盤勇 ” computerを使ったnoise 版画家で知られる” と1961年2人展、 1963、64、 68、69年 行動美術展出品(戦後の前衛芸 術をリードしたグループ。1966年幻触展参加、 同年 青年彫刻家集団 ”刊” メンバー、2回のグループ展 、1967年作家グループ ”野火” 結成東京常盤画廊、野 火展。 1968 香川県小豆島(石彫),1969年秋田県田沢湖(木彫)の日本青年彫刻家シンポジウムに参加。

 

1970年ユーゴスラビア国際彫刻シンポジウム(Forma Viva) 参加 outdoor cement monument。70年渡米,メキ シコマヤ遺跡探訪71年帰米、 Silvermine guild(Connecticut) 3等賞、Hudson river museum入選。73、74、75 年 co-op 14 sculptors co-op gallery、メンバーとなりグループ展、個展。75年 篠原有司男と企画した前期、 後期の2 人展をSoHo Azuma gallery(NYC)での sculpture installation の個展、COOP gallery 14 sculptors gallery(NYC)での3週間の 肉体と物体の合体を目指したperformance の個展、 77年 以降80年後半まで2年に 1度の割合で3週間のperformance art の個展を自らのスタジオ75 Hudson performing space (NYC )で続ける。 1984年Whitney counter weight exhibition(NYC) 参加。1999年 ” out of action and performance” selected show los angeles contemporary museum , Vienna , Barcelona、東京都現代美術館 巡回展。 2006年 ”10年間 徘徊 eternal performance” を始める。1982年 lecture of Performance (Rutgers University, NJ) 2014年名古屋芸大 (Nagoya Japan)でのレクチャー、2018 年武蔵野美術大学(Tokyo, Japan) でのレクチャーとともにperformance を行う。

 

Early life

 

私の生まれた第二次世界大戦終戦1年前の日本人の全ての人々が 飢えと病に喘いでいました。 小作人、戦後農地解放の後、貧農となった父は1歳から4歳までの年子の子供を 残して結核で34歳で去りまし た。長男として生まれた私と父の死後2ヶ月後生まれた末 の弟と母はやっと事で生き残る。しかし中の1 歳と2歳の妹と弟は飢えと病で死亡する。その 後シェルター、母子寮を転々とするも間も無く母も結核に 倒れ片肺を失う。この悲惨は日本中 に当たり前のように蔓延した。この貧困と飢えと病の中で3人は生き 延びた。この幼児体験は心 の底に深く沁み入り作家として生きてゆく無意識の支えとなる。この戦争の 悲惨か ら立ち直るべく、働き盛りの青壮年を戦争で失い手足をもぎ取られた日本の再生を目指し、残 さ れた老若男女、子供、中、高卒の青少年、全ての人間が一丸となって働き戦後の日本復興に貢献した。 その立 ち直るべき人間の生き様を具に見、肉体が唯一の資本であるどん底の人間の群れの渦中で育つ。 清水東高美術部時代、前衛美術会会員の(敗戦後結成された左翼的美術団体)伊藤隆史に出会 い強い影響 を受ける。彼は私にケーテコルビッツの小画集を呉れて西洋象徴主義の存在を教え た。第一回日本 アンデパンダンで美術評論家針生一郎は美術手帖誌上に彼の作品写真載せ激賞 する。

下記の文章はAmericaの文芸誌(sulfur)が私の作品を特集した折に投稿した文です。

 

” I was born 1944 in Japan near Tokyo 100 miles away. When Japan is in chaos in war and right after World War Two end, Whole things are abandoned. I lost father, sister, brother, 3 of 6 in family. After war, mother was almost dying lost right lung by tuberculosis. We wander to survive to find food and space to live after war. Fortunately we survived. I move to USA in 1971. I feel human being like, what is wall, what is air, what is light. What’s existence of body, What is space, what is object to feel, what is human being? But I know my body exist with nothing sure I feel.”

 

Fall 1989 essay by Cusi Masuda. From Sulfur magazine issued.

 

Life in Tokyo

 

働きながら美術学校に通う。新聞配達、レストランの皿洗、夜の仕事サンドイッチマンを通じ て腰を痛 め引退した相撲力士元関脇荒磯こと大久保清次を親方として知る。零落した彼の生涯 孤独な人生を知り その無常さに日本文化の一端を感じる。彼を4年間息子のように支え、現代に 埋れる江戸文化の末端を知 る。また学校での師清水多嘉示より1920年代のパリの空気を知る。 この2つの文化の影響の差異、”東洋 と西洋” は50年近いアメリカ生活を通して次第に制作の支柱として膨らん で行くことになる。1967年より 東宝映画ゴジラに携わる。円谷英二監督初代ゴジラの制作者, 彫刻家、利 光貞三の助手を渡航寸前1970年 まで4年間務める。同時にゴジラ縫いぐるみ役者中島春雄 (黒 澤の”7人の侍”、山賊役で出演する) の付 き人をする。

 

Life in NY

 

1971年アメリカ東海岸最古の鋳物工場 Roman Bronze で wax retoucher, mold maker として 1970年初期のNY を中心とした具象彫刻作品の鋳造に携わる。半年後その技術で永住権を得る。同時に夜2年間 art student league で 塑像制作を学ぶ。1980年代半ばNY Art Academyで解剖学を学ぶ。1973年NYC licensed plumber Sanford Stein の下でapprenticeとして働き始める。1994年修業20年の後 Japanese American として最初の NYC licensed plumber となる。40年間、虚業としてのアート制作と実業、機能 としてのPlumbingに携わる ことで物質、人間存在の意味、在り方を身体を通じて芸術(between metaphysical and function)の修業する。

 

Concept of work

 

第二次世界大戦終戦の1年前に生まれた私は生き延びた病の母、行商する祖母と共に戦後の荒廃した敗戦 の苦しい喘ぎ の焼け跡、闇市、行商の風景の中で育つ。経済の発展と共に西洋、アメリカ文化の影響の 下、 日本にあった古来の文化、生活習慣の喪失は都市をはじめとして交通、コミニュケイション、メ デ イアと産業経済の発達と共にその激しさは増大し、その生活の中に内在する目には見えない伝承 文化の魂は消え去ったに等しい。西洋文明、帝国主義、中央集権主義の迫害は世界中の地方独自の文化の消滅 をもたらし、その産業経済システムは西洋文明の脅威として東洋文化、伝統文化への侵略を成し、画一 化する資本主義消費文化として変身を遂げた。経済システムの強い影響を受け、依存する現代文化、現代 アー ト、私はこれを強く否定する。人間本来が持つ個人の自由、情熱、欲望、喜怒哀楽、野生、そ こか ら生まれる洗練を否定する芸術活動。産業革命以来長い間無視された個人の力、システム とその呪縛か らの解放、システムに対峙する個人の生(raw)の情念の表現、抹殺された文化、民族の 再生、表現革命を 基底とすると固定概念の解放、21 世紀の純粋芸術を目指す。被害者と加害者の修 羅場で幼年期を生き延 びた心身を基盤 ”foundation”とする ”被爆者、 victim and assaultor”, ” 徘徊 eternal performance” をテーマ としてのライフワークを続ける。戦争に巻き込まれ亡くなった兵士 や市民、終戦の焼け跡の悲惨の中で 生き延びた、兵士や市民、子供、青少年婦女子、又戦後の苦難の中で逝った一、二歳の弟と妹と父、そして共に生き延びた今は亡き母と弟、今ある日本を形作った先 達、平和を求める生きとし生きる全生命に感謝の意を込めて私の作品を捧げる。

Following essay written the day of 67th anniversary of Hiroshima A bomb 8/6 2012


Art is deep, wide , pure, simple, direct, raw, obscure, and invisible but you feel it.

Art has hundred faces of aspect to feel and come to your heart.

Art adopts and influences to people’s mind sense but none of them are same.
Creative art stands alone and away from politics, religion and money.
Art is human creation but belongs to nature like air, tree, mountain, river, ocean, and sun.

Art is digestible and can become part of your body ,so you can live with it.

Art encourage you to feel and embrace the world where you live through all your life.

 

 

Performance Art、Fine Art の歴史と未来ー武蔵野美術大学での講義のあらまし  4次元アートを超えて(beyond fourth dimension)

 

 二次元 (second dimension)の平面絵画、三次元 (third dimension)の立体彫刻。平面、立 体、音、光、数字、言葉、文字、映像等を合成(combine)したミックスメデイアムとしてのVisual Art 、Conceptual(概念) Art 以降の European Art を源流とするコンテンポ ラリーアート(contemporary art)が一歩進んだ新しいメデイアム(medium)、媒体として の生(なま、LIVE)の現実の時間を生きる身体を意識した四次元(fourth dimention)の表 現、パフォーマンスアート(Performance art) は、どのように歴史的な推移を経て多 様な表現を持つに至り, 20世紀の異端, 前衛から21世紀 American Art の大事な メデイアムとなったのでしょうか。一方の東の外れの孤島に土着する日本民族が連綿と 繋いできた南方、西方、大陸からの東洋文化を原点となす風土に根付いた伝承文化とし て、西洋の形のある、具体性のある、意図的、人工的、作為的、進化論的文化ではなく、 文明とは全く裏腹の、脈脈と流れる目には見えない、人から人への時を経ても変わるこ とのない、他をいたわる連帯の心で共に生き、作業する、そうしなければ生存できない 生命共同体の知恵、自然を神の恵みのように崇拝しつつ、人間の儚い命と同体の自然や 宇宙の神秘を今も愛する永遠不滅の心、この民族を支えた唯一無二の肉体に宿った心の 文化、数万年をかけて築き上げ、時を超越した日本民族特有の風土に根を張った生活の 営みから生まれた独自の、アートという範疇を超えたパフォーマンス文化があることを 無視するわけにはいきません。この身体のコミニュケイション、西洋、東洋を超越した 個人の”肉体の思考と身体感性” 表現以前の”生活する原存在” 又 ”五次元(fifth dimension)を暗示する精神と心の世界、時間と空間と存在”などについて後半共に考えて いきたいと思います。

現代アメリカの多種多様の少数民族(minority)はアメリカ総人口のほぼ半数に至り、か つての都会の文化、社会の動きの主流としてのアメリカンポップアートや生活に見られるの白人偏向、白人システムに順応する文化、芸術は次第に変化を遂げ、今やこの異民 族文化の歴史を持つ人々の活躍はめざましく、彼ら無くしてアメリカの文化、アートを 語ることはできない。21世紀に入り少数民族としての様々の白人、黒人、南米系スパ ニシュ、アジア系、アメリカインデイアン、中近東系、アフリカ人等、アメリカ大陸が 持つ異種、雑居文化の台頭は新しい21世紀文化の新しい波となり今までにない多彩な 文化現象として現れたのです。商業主義大衆文化であるサブカルチャー、クロスカル チャー、としての pop music, fashion, movie, comic, animation, game、TV、等、ア ウトサイダーとしての落書きアート(grafitti)など渦のように混淆したアメリカ特有の カルチャーが百花繚乱するかのように映る文化と同時に社会の矛盾から生じる、湧き上がるように頻繁に起きる銃弾による大量殺戮、人種差別等に対する人種を超えた若者の 怒りは政治意識と重なる新しい若者の力となって反動政治とそのシステムに対峙した大 衆文化の意識の力として興りつつあります。ここに若者のエネルギーをジェネレイショ ンを超えたより良い社会への参加”commitment”, 情熱(passion)としての新しい時代のパフォーマンス性を見ます。

この商業主義大衆文化に対峙する、孤立した(solitary)のファインアート(純粋芸 術)の表現は現実社会を基本構造とする時間の過去と現在と未来を表現しようとするダイレクトな身体、生命を媒体としての生きている時間に重ね、生(LIVE)の身体を意識 し、社会構造を設定した造形空間(インストレーション)、生活日常空間、宇宙の神秘を内包する身体と自然界、個人が抱える非日常的な極限状況に対する不安感、人間疎外 を感じる身体感覚、人工空間(artificial society、space)に対する不信と懐疑と絶望。自然界の人間感性を超越した無限感性への無意識の憧憬と願望、現代社会が抱える諸々の既 にある解決不可能と感じる不条理を掘り起こす作業としての視覚芸術(visual art)の幅広いコミニュケイションを生(raw)で直接的に訴える反商業主義を唱えるファインアート (純粋芸術)として、マスメデイアでは不可能なダイレクトに個人の内面の感性と精神に訴えるコミニュケイションとしての四次元パフォーマンスアートがあることを見逃すわけにはいきません。

アメリカ現代アートを取り巻く知識人、富裕層、投資家、美術館、画廊、ジャーナリズ ム、アーテイストを巻き込んだ投資としてのアートのマネーゲーム、社会が生んだ巨大 な金権文化構造のダイナミズムが引き起こす悪性ブラックホールの圧巻する途方もない 不毛の巨大権力,システム ”capitalism”に対峙すべく、個人の強権力に対する抵抗として のアート表現、パフォーマンスアートは21世紀の文化の構造解体(deconstruct)を目指 すアートとして現れたのです。人間の肉体を含めた宇宙空間構造、社会が内包する個人 の実存としての存在認識と社会構造。創造する破壊、破壊する創造、時代にそぐわない 機能しない組織、構造の解体と再生(deconstruct and construct)。自由意志への構築、自 らが感ずる不条理への懐疑、ダイナミックな現代的手法ともいうべき常識を打ち砕く勇 気、野心、捨て身の挑戦だけが手にいれることができると信ずる純粋精神の情熱に満ち た彼等のパーフォーマンスは21世紀の下地、基礎(foundation)として存在の影響は今ま でなかったムーブメントとして世代をつないで新しいアメリカ文化を示唆しているよう に思われます。

1970年代のこの若手アーテイストから始まったムーブメントの台頭は次第に加熱し膨張 して現在に至っています。しかしこの作家達はあくまで個人の造形作家であり政治(politic)とは全く無縁であり否定ではなく真剣に対峙すること、アートコミュニケー ションの可能性を政治では不可能な、徒党を組まない造形作家のオリジナルとして、参加しようとする、個人自体に深く食い入る ,反 マスコミュニケイションの立場でダイ レクトな主題と表現方法をもってコミュニケイションを試みます。

アートメデイアムとしての身体を媒体とし時間を取り込んだ新しい表現方法としてコミ ニュケイションをするパーフォーマンスアートは、ほぼ100年前にその胎生は始まり、 第二次大戦後の主要なアートメデイアム( art medium)として徐々に多くのアーテイスト が挑戦する21世紀のはっきりした4次元を舞台とするアートメデイアムとなったので す。後期印象派、セザンヌ以降の20世紀のロシア構成主義、第一次世界大戦を挟んで ダダイズム、シュールリアリズム、ドイツ表現主義, キュービスム、フォービズム、イ タリア未来主義、第二次世界大戦後の1950年代に胎動を始めた、ヨーロッパ、ニュー ヨークでのパフォーマンスアートはその胎動期としてのフランスのイブクライン、ドイ ツのジョセフボイス等のフルクサス、アメリカでは熱い抽象表現主義のジャクソンポロッ ク、ネオダダ、ロバートスミッソン等のアースワーク(earth work)にもその兆しを見る、 又日本での大正ダダ、1950年代の鈴木慶則、伊藤隆史等の前衛美術会を中心とした 大きな影響を与えた日本アンデパンダン、ヨシダミノル、白髪一雄等の具体派、1960年代の升沢金平, 田辺三太郎等のネオダダと読売アンパン等、時代の変遷ともにパ フォーマンスの挑戦は絶えることなく続く。

アメリカに於いては、主に1940年代生まれの挑戦的、野心的な反システムを標榜するア メリカ作家が次々と輩出する1970年代、模索の活動期に突入することになります。オーストリアのハーマンニッチ、アメリカのブルースナウマン、クリスバーデン、ビト ウアカウンチ、南米系ゴードンマッタクラーク、ユダヤ系ハナウイルキ、キューバ系の アナメンデイエータ、日系クーシマスダ、アフリカ系デービットハモンズ 彼等は20代 30代の新進気鋭の新しい時代を切り開こうとした戦後世代の異色パーフォーマンスアー テイストとして21世紀に繋げ、既にある構造に対峙した、捧げた社会派アーテイスト のパイオニアとして歴史に楔を穿つと思われる前衛作家達です。

現代アメリカ社会の政治、経済、宗教、文化が持つ建前と現実の矛盾と破綻は社会が深 く病んでいることを表しています。西欧資本主義経済の末期症状を表わしたどうにもな らないシステムの崩壊。白人が作った白人優位、少数派不利の法律を持つ社会、多くの ノーベル賞経済学者の論理では解決できない富裕と貧困の格差、理想を掲げた政治家、 社会運動家の存在は抹殺され、その理想は反動政治家によって、いとも簡単に否定、覆 される社会。これは私が48年アメリカに住んで肌で感じる今の現実です。民主主義社会とはとても言い難い金権が横暴する弱肉強食、違法がお金で罷り通る差別社会と言っ ても過言ではありません。最低生活の権利を主張するのもままならない社会。教育の機 会均等を獲得できないシステムの被害者である無視された低所得者層の充満する貧困社 会。この現実を深く肌で感じ理解、深く社会に浸る生活感覚を通じて意識するアート表現、 ITを駆使した資本主義社会マスメデイアの宣伝消費社会、現実迎合主義に対峙するべく、生活の具体性から生まれる表現、既成の画廊空間、美術館等のお膳立ての器に納ま るものではなく、そのシステムによって捏造されたモニュメントの偽造空間(text, context)と対峙し、差し出された器に当てはまらない規格外のスケール(必ずしも大き さを意味しない)を持つアートの既成の価値を問い直す媒体(medium)としてパフォー マンスは私にとって、その生々しさ、創造と破壊、悠久と儚さ、脆さ、永遠と瞬間、宇 宙と生命、見える世界と見えない世界、全ては定かでない限界と無限の感覚の中で生き ている肉体の絶対存在の確認としての作業として身体と時間をメデイアムとするアート 表現を提示したのです。

古代ギリシャの言葉の認識から始まった形而上、精神、意識のコミニュケイションは近 代、現代にまで詩、哲学、文学、演劇等、多種多様なメデイアムによって反芻され続け てきた。しかし私達が現在、生きているこの合理主義,資本主義社会においても、更な る不条理の厳しさに人々は晒されているこの現実社会、あまりにも合理性を求めて作ら れた、がんじがらめの檻社会、人々のシステムの矛盾に対する不安と怯えは拡大を続け ている。ビジュアルアートとその先鋭、前衛でさえも頽廃、堕落し生きる屍となり地に 堕ちたように社会に参加するすることのできない、逆にその社会のシステムのハイエナ、 不毛な似非アートと成り果て、純粋芸術の持つ真の機能は消失し、快楽を求める世の中 の醜い装飾品に甘んじている。

一方、この新しい波、ムーブメントである4次元アートが持つ幅広い可能性は装飾、宣 伝(propaganda)化された瞬感の快楽、装飾(cosmetic)を求める表層的アートではなく、目には見えない人間の内部の心、精神、思考に働きかけるコミニュケイション、芸術が 社会の中で幅広い可能性の拡大を目指す21世紀のアートは多種多様な表現方法でグロー バルの域での世代を超えた新しい動きとしてパフォーマンスアートは次第に顕著に現れ つつあります。アート自体の社会に関わる文化構造そのものに解体と再生 (deconstruction,construction)の意志を差し出した1970年代に始まる無名の20代、30 代のそれぞれが異なった、徒党を組まない4次元アーテイスト達の挑戦は純粋であるが ゆえに永遠の叫びとなって21世紀アートの礎(foundation)として存在を続けると信じています。

 

 西洋と東洋の相容れない絶対的価値観の相違、刻々と変貌し続ける生死の時間の無限宇 宙と個体生命の無明の一体感、瞬間と無限時間を悟感する感動と躍動。西洋物質文明に どっぷり浸った大脳には胎生し得ない東洋独特の感性と悟性。50年近く私はこの絶対 に相容れることのできない合理主義アメリカ文化(culture of system)と東洋の次第に西 洋文明の波に洗われ滅亡しつつある、弱体化した形而上、精神主義文化の狭間で模索を 続けながら独自の立場で、どこにも属さない、既成の器にはまらない、自由を目指す表 現、個人活動の発表の場としてのコマーシャルスペース(商業空間)に対峙する自らの スタジオスペース(75 Hudson Tribeca  NY、Hartford ct)、アーテイスト自らのコープス ペース(14 sculptors soho ny)、アルタネートスペース(franklin furnace tribeca, gallery onetwentyeight Lower East Side)、道路広場 ( west broadway,spring st soho ny)等、柵のない、 束縛されない、中心ではない外側周縁の場(whitney counter weight ny, putnam av bushwick ny)、生活を支えたマンハッタンnyc を中心にした40年間の配管工事による 素材と機能と自然(nature)の融和を目指す肉体のプラクテイス、実生活の場での独自の 表現と場の拡大、創造の母体としての自然空間、束縛されない表現と場の解放を求め続 けてきたのす。

生きる夢を繋げ、容赦のない時間と空間に耐え生き延びてきた生命共同体。個人の生命 の生け贄を強いた盤石な封建奴隷社会を生き延び、更に明治、大正、昭和、平成、第二 次世界大戦後を生き延び、人為的迫害のみでなく、幾多の自然災害に遭遇しながらも生 き続ける日本民族。戦後の再生日本を象徴する新憲法の下に、市民、子女への無差別砲 撃、瓦礫、敗残の焼け跡に立ち、働き盛りの壮年と学問に燃えた青年を無残に失い、手 足をもぎ取られ痲痺した殆ど壊滅した社会を再興し、再生を果たした今ある日本。幾多 の困難を生き延び、貧乏、窮乏の中で共に生きようとする人々の必死の努力と加護によっ て育てられた私。この私の目に焼き付いた復興を目指す人間の群れ、この人々の痛みと 苦しみは私の肉体と心に深く突き刺さり、決して忘れ去ることのないの傷痕として膿み 爛れた心の傷となり、その痛みを慰謝するように生きている限りは、その膿を吐き出し、 叫び続けることで、歪んでしまった自らの心の傷を癒そうとする。自分もまたその先人 の血と汗を受けて立ち、自らの否定と肯定の狭間で生き続け、生きることを通してアート表現を暗中模索し続ける以外、私の生きる道はないと確信するのです。

戦後の復興、新生を目指した象徴天皇制の下に現存する様々な色で飾られた血税で賄われる現代の官位褒賞制度とその文化構造。それを容認する前衛芸術家を含めた芸術家集団。最早その形は純粋芸術を目指す芸術家に値しない。純粋芸術生命の放棄を意味する狼の子羊への媚び、変身、麻痺してしまった精神の堕落、頽廃を意味する儀式。封建制度の形骸の誘惑に耐えられない、文化の本質を見失った服従と迎合。真の伝統精神の喪失。この本質から逸脱したシステムの不条理を感じることのできない組織、権威、名誉を盲信するアーテイスト。このできあがった、すでに私達が生まれる前に存在していた 封建文化構造に牙を剥くアーテイストとして対峙しない限りは、純粋芸術は永遠に欺瞞、 幻像としての律令制文化制度の遺骸の傘の下で企業、原発廃棄物のよう社会の癌物質と してしか存在し得ないのだろうか。

真剣な社会意識なしには、純粋芸術(fine art)は生まれてこない。孤独な必死の創造、 命の結晶、永遠の光、その渇望と真の生き様、無くしては、真実の文化は存在しない。生き延びて来た民族の歴史を繫ぐことへの否定、 個人の無知、傲慢から生まれる栄華 への執着、自分が良ければいいとする刹那主義、時代と歴史への逆流、それは民族の滅 亡を示唆している。一個人の名誉、地位、金銭を求めて生きる自己満足の芸術は浮世の 俗を求めたが故に、俗に甘んじ、滅びる。命懸けでなく、生命が宿っていない作品は瞬 時に腐り亡び去る。歴史は虚飾を受け入れない。1960年代パフォーマンスアーテイ ストのネオダダのメンバー、升沢金平のベッドに排尿した ”帝国ホテル” と題するパ フォーマンス作品はその精神において純粋であるが故に、クリスバーデンの”ロッカー パフォーマンス”と共に永遠のコミニュニケイション、invisible monumentとして光り続 ける。

如何なる前衛も真摯な精神無くしては茶番劇でしかなく、とても歴史に耐えられるとは 言い難い。文化体制という権威にすがって生き延びるしか道はないアート、美術館の中 では如何なる前衛も永遠に眠る物体として差し出された、決して生きてはいない虫けら 標本アートに等しく、悪しき文化体制によって支えられた消化不可能のシステムによる 純粋培養のアート、私はこの醒めて見る悪夢の幻のような現実を受け入れることは到底 できない。嘘を生きるのは自分と社会と伝統に対する冒涜であり自己欺瞞であり頽廃で あり不毛としか言えない。芸術以前の社会認識、姿勢が問われるのです。敗戦の痛みは 蒸発し、表面的アメリカ合理主義を追従、コピーする似非芸術家とその組織 (institution)、の群れ。この害毒の充満したガスチェンバーのような密閉された息苦し い現実を許容することは私にはできない。アートが生活空間を飾る機能としての装飾, オブジェからの超越し、独立した更なる人間の意識、内面に訴える精神の革命、撲滅で きない人間の不条理に挑戦するビジュアルアートの賭け、これが新しいアートとしての 本質であり、四次元パフォーマンスアートの目指す世界と言えます。私は政治体制を批 判しているのではなくアーテイストのモラルの欠落、堕落、傲慢を批判しているのです。 自らの生活の原点を問い直すべき芸術の持つ超越への人間の真の情熱は失われた今、生 きる屍として生きるしか道はないのだろうか。どうしたらこの絶望の淵から這い出るこ とができるのだろうか。歴史は単なる繰り返しに過ぎないのだろうか。

 

 純粋芸術こそが悪しき構造に根こそぎ改革を迫る無言の力となるのです。権力者、上流 階級が愛でた仮象文化、絢爛豪華、装飾文化、わび、さび、幽玄、これらは資本主義経 済が支配する現代アメリカ文化に酷似している。これらは本質的には日本の伝統文化と は言い難い。権力を持った人たち、富を弄んだ愛玩文化であり、形而上の精神文化は見 られず、社会にとって不毛であることは歴史が証明している明白な事実です。宗教と癒 着した王権政治、 独裁政治、武家政治、軍閥政治、産業革命以前、以降の資本主義政 治、革命以降の共産主義政治、これらの強権体制に支えられた芸術、プロパガンダ文化 は真の創造とは別世界であり、不毛であることは火を見るよりも明らかであるにもかか わらず、自由、市民権を叫ぶ現代に於いても連綿とこの頽廃は続けられている。主義は マス文化であり個の反対側にあり純粋芸術はこの宣伝文化を強く否定する。植民地支配 からグローバリズムの名の下に犯されてきた数々のイギリス産業革命以降の西洋文明の 利権侵略、その負の支配が現代の難民問題を含め、世界を不安の坩堝に陥れている。今 こそアーテイストはこの現実に目覚め、本質のアートコミュニケイションを目指すべき だと思うのです。

 

芸術の本質は人間社会の禁忌(taboo)を解放し、新しい価値を創造しようとする能動 の意志にある。

ジャーナリズム、コマーシャリズムを懐疑し、アートが持つ始原、野生、生(raw)の力を信じ自らの意志でこの堕落、腐敗した世界と対峙すること、このささや かな個人の力、自分の徹底したアンチシステム(anti system)への、オリジナリテイーを アート表現として提示すること、朽ち滅びる肉体の反抗、怒り、欲望、情熱、歓喜する 人間、生命体が宇宙と共に生まれ、連綿と続く世代を繋いで今にある一個人の燃え尽き る命を、 究極の試練に晒す完全燃焼への希い、生命の本能が感覚する(永遠)への挑 戦、官能、喜悦、恍惚、純粋への情熱の賭け。永遠に燃え続ける感情の無限に膨張する、 不可能はないと信じる賭けへの挑戦 (desire for mass critical conditionーhuman big bang)。

生と死の連綿と織りなす、生きて行く限りの意思が持つ命の意味と限界への挑戦、妥協 を許さない飽くなき試練に晒す肉体が夢見る欲望と官能、歓喜の渦の無限の世界。全身、 全霊が到達する無比の純粋世界への渇望。人間の一生を賭けたアート表現、究極の限界 爆発への夢。自らが仕掛けた芸術生命の爆発。一生に賭けた無限解放への夢。これが私 の創造の原点であり、私は生きること、生き抜くことで未だ見えていない自分独自の道 を思考錯誤しながらも求め続ける、この”生きる意志”こそが四次元パフォーマンスの原 点となるのです。

人間は全て同じようにに社会の下に生まれてきません。しかし、全ての人が、個人個人 が、一人一人が、違う条件で生まれてきたからこそ、そこに比べることのできない個人の独自性と創造の可能性、個性が産まれるのです。誰もが同じでない違う生き方、考え 方、先天的に持った誕生の条件、それを生き抜く過程、時間その全てが独創の源泉とな り、生きる力となるのです。ここにパフォーマンスの原質を見るのです。与えられた生 を受け入れ、生きていくことで徐々に意識は目覚め、自分がこの広大な宇宙の中の古今 東西、後にも先にも生まれてこない絶対的な個人、二度とない人間、自分であることに 気がつくのです。比べようのない存在、比べることのできない人間存在、たった一人し か存在しない独自性、この意識こそ創造の核となるのです。徹底的に独自を極めること、 生きることの困難、苦難を克服し生き延びた時にこそ、自分らしさを獲得し、更なる生 き抜く力となるのです。アート、アーテイストにとってこれでいいという終わりは永遠にありません。

アートは 金銭、社会的名誉と地位、宗教、それらの俗を弾劾しその高潔さと厳しさ故に芸術家が 一生をかけても辿りつくことのできない ”創造の世界”は 悠久、無限、絶対の世界と して厳しく存在する。

自らが創造した他とは比べようのない新しい価値と存在を求め、 過去にあった価値の否定と肯定、自らの価値の否定と肯定この狭間で揺らぐ自らの存在 の懐疑、不安、この繰り返し巡り来る、生きている限り意識する精神の矛盾、先の見え ない道をなんとか生きる、これから先の未来の自分を模索しながら自分の選んだ道を信 じて創作を通じて自らの道標を生きていく以外に創造の道はありません。

 

人生の鋳型や類型を否定し、自分が選んだ唯一の生き方、この独自性、自らの選択し信じた道に向かって磨きをかけること、生身の肉体の全身全霊で永遠に通じる、目には見えない不滅の真実の価値、モニュメント(invisible monument)を後世に繋げようとする意志と精神と心、これらは先人達が繋げてきた目には見えない日本民族の世界に誇れる独自の文化遺産であると確信するのです。時間と空間を超越する絶対人間への賭け、更なる次元、新たなる宇宙に突入する五次元への挑戦。 悠久、自然の中に生まれ与えられた大切な一生、生命、これをなんとか自分の個性と独創で社会の中で共同体の一員として、確かな仕事を次の世代、時代に繋げてゆくことができたならと思うのです。先人が創造した脈脈と生き延びてきた真実の芸術、純粋芸術、文化は私達の肉体に宿り、歴史を繋いで生き続けているのです。

 

 敬称略                       未完   クーシ増田

                4 /17 / 2018